更新 2011/04/18

渡辺富工務店

目次

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新宿区山吹町343番地 

富工務店の来し方を想う

過去ログ

: 長くなってきたので前項までのお話は別ページに移動します。


渡辺富工務店の越し方をいろいろ振り返ってまいりました。今回は最新の話題をお知らせします。そしてここでひと区切り「来し方を想う」はしばらくお休みをいただきます。お付き合い頂きありがとうございました。新企画にて再登場いたします折は、またよろしくご愛顧の程お願い申し上げます。(青)



第20話 富建築訓練校 第32期生を迎えて


4月11日(月)10時、快晴

満開の桜が微笑む麗らかな佳き日に、新入生N君、O君、W君の3人は富建築訓練校のユニフォームに着替えて、入校式が行われる4階の会場に入ってきました。
本社屋の建設に伴い2年間休校しておりました富建築訓練校の再開です。
緊張の面持ちの3人に、社長は「技能士として技能を身につけるのと同時に社会人としても成長する様に努力する事が大切です」と挨拶。副社長、専務からもそれぞれ激励のお話があり、実技を指導するK棟梁からは「私も一生懸命に教えるから、君たちも一生懸命頑張って下さい」と力のこもった何よりの祝辞を受けました。
訓練校係りのNさんの「この度の東日本大震災で地震や津波、更に原発事故で被災した人の中には職場を失ったり、就職の内定を取り消された人もいると聞きます。君たち3人は入校出来たことを喜ぶと同時に初志を貫徹する様に頑張って下さい」の挨拶に3人も決意を新たにしたことでしょう。
筆者(青)は「元気な声で はっきりと挨拶しましょう。”おはようございます””こんにちは””お願いします””有難うございました””さようなら””おやすみなさい”等々、明るくしっかり挨拶が出来る人になりましょう」と言いました。震災後よく流れるCM[ありがとウサギ、こんばんワニ・・・]のように挨拶から人の輪は広がります。
先生方の挨拶が終わって、新入生の自己紹介です。N君、O君は都内の工業高校を卒業、Y君は普通高校の卒業生ということです。
今日からこの3人は、養成校時代を入れると半世紀にわたる輝かしい伝統を持つ富建築訓練校の訓練生です。技能五輪で日本代表になった先輩やグランプリ大会で優勝した先輩たちの後継者となるべく、その第一歩を踏み出しました。

4月12日(火)授業開始

8時の始業時刻にひとりまだ姿が見えません。初日から遅刻するとは先が思いやられるなあと待つ事20分。
「電車が遅れました」と言うので「電車が」か「電車に」かと聞くと「が」ですと言う返事。大地震以後の交通事情もある事だから「が」を信じる事にして生活訓練の授業に入りました。

10時の休息時間のことです。
W君「腹がへったから昼用に買ったおにぎり食べてもいいですか」
「早弁かい?」と聞くと
W君「今朝5時頃家を出たから朝食食べていないんです」
「食べていいよ」
W君「はい、明日からもっと遅く家を出てもいい事が分かったから朝飯食べてきます」
休憩室でおいしそうにおにぎりを食べているW君を見て頬笑ましくなります。
そこで他の生徒にも朝ごはんを食べてきたかと聞くと、
朝飯は何時も食べないとO君、時々食べると言うN君。
この若者たちの食生活が思いやられます。これから のみや鉋を研いだり、鋸引きや鉋がけ等の力仕事をする技能士に育てるには、道は遠いなあと思いながら、訓練初日は終了。最後に訓練日誌を書かせました。
字を知らない、誤字脱字が多い、字が下手である、これではいけない、明日の生活指導の授業では先ず正しい字を書かせる訓練をしようとカリキュラムの一部を変更しました。

4月13日(水)

昨日の生活指導の結果 遅刻者はなく 日直のN君の「起立、礼」の発声のあと3人揃って「おはようございます、お願いします」と元気な声の挨拶を聞く事が出来ました。

字の練習
カタカナ、ひらがな、自分の名前を手本を見て一字一字丁寧に書く事、鉛筆の持ち方、書くときの姿勢など指導しながら1.5cmの方眼紙の中に、いろは48文字、カタカナの50文字、そして自分の名前を書かせました。30分で書き終えての感想は「小学校1年生に戻った様だ」「こんなに丁寧に字を書いたのは初めてだ」「訓練校で字の練習をさせられるとは思わなかった」
字を書くことの少なくなった現代の若者たちには、思いがけない訓練だったようです。
3人とも疲れたなあと言い乍ら、良く書けた字についた赤い丸を数えている顔は、まだまだあどけない少年です。 
1年後、2年後の3人が技能者として、ひとりの人間として、どのように成長していくか、楽しみでもあり、責任の重さも感じる、2011年春です。(青)

第19話 モスクワ工事 No3”片岡棟梁と語る”

 「印象に残る仕事は沢山あると思いますが、モスクワの工事は中でも思い出深いのではありませんか?」
片岡 「モスクワでの工事は生まれて初めての海外での仕事で、しかも棟梁としての重責に加え、ロシア語も英語も全く出来ないと言う不安な気持ちを抱えたまま成田、ヘルシンキ、モスクワという経路を飛びました」

  「金井部長のレポートに宿舎のアパートと出てきましたがどのようなところだったのですか?」
片岡 「私たちの住まいは、植物園内の現場から歩いて35分くらいの所に建てられた新築の16階建のアパートでした。その16階にある2DKの部屋を宿舎として使っていました。
床は?(ブナ)の寄木、壁はモルタルの上に印刷した壁紙 継ぎ手は重ねて貼ってあり、天井はコンクリートにペンキ塗り。窓は木枠に木製ガラス戸を2枚重ねて一応は防寒仕様なのでしょうが、すきま風がいくらでも入ってくるお粗末なものでした。玄関、廊下などはペンキやモルタルが、長尺シートまたはタイル等にいっぱい付いたままになっていました。 外壁のタイル等は割れていてもかまわずに貼ってありモルタルで薄めてペンキでごまかしてあったりして、近くでは到底見られない建物でした。
ただ2回の休みを利用して見学したザコスキー修道院、赤の広場、レニングラードのピオトル宮殿、聖イザック等の建物は芸術的に素晴らしいと思いました。中でも戦争中に造ったという地下鉄の駅を見ましたが、大理石、花崗岩などを主に使って駅ごとに特徴のあるデザイン彫刻が施され、技術面でも見事なものでした」

  「工事で大変だったことは?」
片岡 「色々不安を感じながら初日を向えました。墨出し、土台敷で電気ドリルを使いたいのに、リールの差し込みが合わなくて苦労しました。建て方は力強い学生たちのおかげで3棟とも終わってほっとしました。」

  「学生たちの様子を教えてください」
片岡 「ゼニック君、レオニッド君、イワン君、コーリャ君、ワジン君、セルゲイ君の6人と一緒にA棟の化粧タルキを始めました。 覚えた言葉は「ダー」(はい)「ニューット」(いいえ)だけ。あとはジェスチャーと自分が手本を見せて同じことをやってもらいます。
鋸の使い方、くぎの打ち方など彼等は一生懸命に覚えようと努力してくれました。すき間がまずい事を教えると「チェツ、チェツ」(少し)と のみを使ってうまくいくと「ハラショ」(うまくいった)と言って親指を突き出して喜んでいました。
上棟式を7日後に控え最後の5日間は日曜も休まず頑張ってもらってやっとの思いで上棟式にこぎつけました。
学生たちは自分たちの手で苦労して出来上がった建物を見て心から感動して「ハイノー、ハイノー」(すばらしい)と叫びながら「カタオカサン、スペシャリスト」と握手を求めてきました。 私も感動して胸があつくなり「スバシーバ、スパシーバ」(ありがとう)と言って記念写真を撮ったことを覚えています」

  「良い思い出となったようですが、今振り返っていかがですか」
片岡 「私たちの作ったあづまや、茶室、橋などがモスクワの地に残っています。機会があったらモスクワに行って橋を渡り あづまやで休み お茶室で一服お茶を頂けたら最高でしょうね」

言葉が伝わらなくてもその手から生み出される技術にウクライナの学生たちは目を見張り、感動したことでしょう。片岡棟梁もその息子2人も富建築高等訓練校の優秀な修了生です。異国の地でスペシャリストと呼ばれた棟梁を誇りに思いながら、語り終わった片岡棟梁に大工としての自信と年輪を感じて23年の来し方を思いました。

モスクワの工事 No3(完)     (青)
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第18話 モスクワの工事 No2”ウクライナの大学生”

今回は日本庭園の建設に参加協力してくれたウクライナの森林大学からやってきた大学生 総勢30人について、前回同様金井部長のレポートを読みながら、お話したいと思います。
前年も来た学生が4人、中でも門工事をやったポリス君とは懐かしい再会だった。とレポートは始まっています。

学生の研修生のうち、今回は6人があずまや建築を応援してくれた。
彼らはエリートで頭もよく理解力もすぐれていた。
しかし大工仕事は初めてで、富建築訓練校の1年生と同じである。初めは馴れない手つきで鋸や玄能を使っていたが、一生懸命仕事に向き合っているので覚えも早く、1週間後には、くぎ袋を腰にさげて釘を打つ姿もサマになってきて「ハラショー」(すばらしい)という声も聞こえてくるようになった。
彼等は誠実でおもいやりがあって、重い松材等の運搬は、私どもには絶対にさせなかった。彼らのパワーは尋常でなく、建方が無事に終了した時は「スパシーバ」(ありがとう)と言ってかわるがわる感謝の握手をした。
アパートでの歓迎会、上棟式での交歓会では意気投合して肩を組んで(カチューシャ)の大合唱。国境を越えて世界中に響けとばかり思い切り歌った。特にゼニック君のギターと歌は、素晴らしくプロ並みで、英語も話せるスーパーマンだった。
将来のソ連を背負うであろう彼らのエネルギーは、素晴らしいものであった。
ワセラ君は料理が上手で昼食・夕食を作ってくれた。彼の得意な料理は5種類ほどあって材料は、豆、じゃが芋、玉葱など高価な食材ではないがとてもおいしかった。
しかし 慣れ親しんできた日本の味、味噌や醤油が懐かしく、ものすごく味噌汁が食べたくなったりラーメンが食べたくなったり、また 梅干を思い出して口の中が酸っぱくなったりすることがあった。

当時30歳台であった金井部長は、還暦を越えた今でも現役として活躍し後輩を指導しています。会社随一の美声で、民謡や佐渡おけさ、おたち酒など十八番は沢山あります。お孫さんを膝に乗せて一杯やり乍らうたうのが何よりと 薄くなった頭をなでながらニコニコ笑っています。
当時の大学生たちはどうしているでしょう。日本の建築技術に接したことが、彼らの人生に何らかの有意義な経験となっていることを願いつつ、筆をおきます。次回は大工として参加した片岡棟梁にお話しを聞きます。

モスクワの工事 No2(完)     (青)
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第17話 モスクワの工事 No1”カルパチャの大工さん”

今から23年前の昭和59年、モスクワで日本庭園を作る工事がありました。
その庭園にあづまや、橋、茶室を作る工事を渡辺富工務店が依頼されました。
日本庭園作りは57年、58年に続いて3年目に入っていました。 造園は、調布の(株)中島総合庭園研究室でした。 設計は、今は亡くなられた芸大出身の足立丈夫先生でした。
先生からの依頼で工務店から金井部長、片岡棟梁、佐藤工事主任が遠くモスクワに飛びました。 工期は3月末から約1ヶ月間。1日実働12時間の勤務だったと記録にあります。



23年前の4月末のある日の午後 リーン、リーン、待っていた電話のベルが鳴りました。
「もし、もし 渡辺富工務店ですか、金井です。ただ今 無事 成田に着きました。」
「社長、金井さんからです。今、成田に着いたそうです」
「おー、金井が着いたか 良かった 皆元気かー何か食べたいものがあるか、足立先生に聞いてみてくれ」
「お寿司が食べたいそうです。それからお茶が飲みたいとの事です」
早速 上にぎりを10人分程注文して帰社するのを待ちました。
暮れなずむ春の宵 全社員が迎える中、わが社社員3人と足立先生は無事元気に帰社しました。
一ヶ月間の馴れない海外での仕事で疲れている4人に早速お寿司を食べてもらいました。
4人とも唯黙々と寿司をつまみ、お茶をごくりと飲み込んで「あー うまい」
「やっぱり日本は、いいねー」 本当にお疲れ様でした。

以下は工事部長 金井久が当時提出した感想文です。



カルパチャの大工さん
カルパチャ地方から大工さんが4人応援に来てくれた。何時もは家具工場で働いているとの事なので 造作の応援を期待していたが 彼らの工具を見て少し心配になった。
マサカリ、ノコギリ、タチキノミ、ナイフ、カナヅチ等々 それは樵の道具だった。しかし彼らはプロである。それを使って橋をかけ「ドー ブレ」(うまいだろう)と聞く。
「ドー ブレ」(うまい)と同じ言葉で答えると大男がニコニコ顔をしている。彼らは純真でいい人たちである。
しかし この調子で あずまやの造作は心配である。張り切ってやろうとする彼らに「ニエット」(ダメ)の連続。
日本から送った道具を使わせて身振り手振り、手本を見せて繊細な工法を理解してもらうのに苦労する。
夜アパートに呼んで一杯やりながら話し合う。
効果があって 次の日からはよく話を聞いてくれて仕事もやりやすくなった。建て方とムクリの屋根下地が終わるまで応援してもらった。
お別れの前に彼らから一杯の誘いを受けた。1カ月200ルーブル(約6万円)の給料で家具を作っているとの事。
親方の事や 景色のよいカルパチャ地方の話など聞き日ソの友好を深めた。
彼らの酒の飲み方も紳士的でやはり選ばれたカルパチャの大工さんたちであった。



(次回はNo.2 ウクライナの大学生)

モスクワの工事 No1(完)     (青)
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