更新 2011/03/03

渡辺富工務店

富工務店の来し方を想う


第11話 日本一になった大工さん(その2)

日本一になった渡辺富工務店の2人目は建築大工の加藤修君です。平成19年3月に開催された第24回「技能グランプリ大会」の建築大工部門で第1位となり、厚生労働大臣賞を受賞しました。
加藤君は1982年生まれ、中学生の頃から将来の進路は建築大工になると決めていました。渡辺富工務店を知ったのはNHKで放送されたドキュメント番組でした。高校3年の2学期頃のことです。その番組は現代の若者にターゲットを当てたもので、大工の道を選び富建築訓練校で学び、技能五輪の全国大会で銀メダルを取った水野晴夫君を取材した番組でした。1都6県に放送され、その反響は大きく、加藤君も「僕の行くところはここだ」と早速父親と来社して入校を希望しました。その時の加藤君は高校3年生でしたが、実にひたむきな真剣な態度に、面接した社長は「是非入校テストを受けに来なさい」と励ましました。後日入校テストを受け、合格。入校を許可されました。
訓練校での2年間は、何事にも積極的で、特に実技指導の棟梁には時間外でも質問し教えを乞うていました。2年間無遅刻、無欠席。皆勤賞で表彰されるほど、精神的にも体力的にも優秀な訓練生でした。
修了式には能力開発協会長賞も頂きました。父兄代表として述べられたお父さんの謝辞は飾り気の無い言葉の中に、わが子の成長を喜ぶ愛情があふれておりました。
修了後は本格的に現場に出て、先輩と共に仕事をしながら学ぶ日々が始まりました。
彼は『プロは自分を磨くことから逃げず、常に自分に厳しい人間でなければならない』『住む人と向き合って作るのが建築大工、間違ったものは造れない』という努力目標を掲げ学び続け、技能グランプリの出場資格を得られるまでの5年の歳月が流れました。
技能グランプリの課題は、「振れ隅木庇小屋組」と言うものでこれは一般的な隅木と違い、45度以外の角度を設置、その振れ隅木と垂木を固定するのに釘ではなく〈ひよどり栓〉と呼ばれる木栓で振れ隅木と2本の垂木を貫通して固定させるという非常に難度の高いものでした。
振れ隅木庇小屋組
受賞後加藤君は「今回優勝できたのは自分の力ではありません。一緒に練習した先輩がいたからです」と謙虚に語りました。
『継続は力なり』を座右の銘に今日も現場で汗を流しております。

日本一になった大工さん(その2) (完)     (青)
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第12話 富工務店の文集

昭和42年の「古都をたずねて」の第1回の文集より平成21年の「伊勢、鳥羽の旅」まで31回になりました。初代の社長は、社員の見識を広げることを第一に考え、見学研修が主目的でした。そのため超過密なスケジュールを組まざるを得ませんでした。現社長は研修を主とすると共に、事務所員と木工部との懇親を深め、日頃のストレス解消にもなるようにと、夕食の宴会では、飲んで、食べて、歌って、20歳台から80歳台までの全社員それぞれが楽しいひと時を過ごせるように考えています。
ご参考に文集一覧表掲載します。

富工務店の文集 (完)     (青)
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第13話 青の入社

日比谷公園の地下鉄丸ノ内線 霞が関口の近くに渡辺富工務店と日比谷パレスという喫茶店があったのは昭和30年代でした。私は、新潟県で小学校の教員をしていましたが、子供のいない義兄夫婦からたっての要望で主人と生後100日になったばかりの娘と3人で上京しました。工務店と喫茶店の仕事を手伝う為です。
私たちの住居は、豊島区西巣鴨(現在は、南大塚と地名変更)でしたから主人はオートバイで通勤、私は娘をおんぶして丸ノ内線で東京駅、山手線に乗り換えて有楽町まで行き、日比谷公園内の裁判所寄りにあった工務店に通っていました。
冬の寒い日のお昼休みに娘をおんぶして、綿の入った寝んねこ袢纏を着て公園の中を散歩していたら、外国の人が近づいてきて「カメラOKですか」と言うので、私の姿が余程珍しいのだろうと思い「OK」と言いました。2,3パチパチやってから「サンキュー、ベビーかわいいね」と言って去って行きました。寝んねこ袢纏姿は田舎にはいましたが、東京では珍しい格好だったと思います。
外国の人が見たら、とっても変わった格好に見えたのだと思います。



日比谷パレスで皿洗いをやっていた時のことです。カレーライスを盛り付けてお店に出す寸前に台の上に置かれているカレーライスのお皿の上に長さ3cm位のゴキブリがいたのです。私は「キャーッ」と叫んでいるだけでしたが、姉がいきなり素手でゴキブリをつかんで床に 叩きつけたのです。
そしてそのカレーライスを捨て、自分の手と一緒にお皿をゴシゴシと洗っていました。なんとまあ、勇気のあることか。厨房にいた男の人達もびっくりしている中で姉は「お客様に出すものにゴキブリなどが入っていたら大問題です。今晩 お店が終わったら徹底的にゴキブリ退治をしましょう」と言いながら皿洗いを始めました。私は、お客様に対する姉の心構えを学びました。皿洗いが終わって工務店の伝票書きを始めながら、喫茶店にしろ、工務店にしろ商売というものは大変なものだと思いました。
その頃は、私の勤務は、朝の9時から夕方の4時迄で 日給500円でした。
前社長は、「子供を背負っての勤務は、大変だろうけど、子供はあんたの温かい背中で仕事のきびしさを感じてそだつ、いい子になるよ」と励ましてくれました。
その娘が3歳頃、何時ものように日比谷の交差点の横断歩道を歩いている時 突然「たんたん狸の○○は、風もないのにぶらぶら」と大声でうたったのです。通行人は笑っています。私は恥ずかしくなって小走りに公園口に入って上を見上げると戦後日本に駐屯していたG.H.Qの建物の空に大きな狸のアドバルーンが上がっているのです。青空にふわりふわりとおどけた狸が浮かんでいました。娘はうたが大好きで 小中高大学とも合唱部で活躍していましたが、主婦になった今でも合唱団でうたっております。
先代の社長が言っていた通り 仕事のきびしさの分かる良く働く娘になりました。50数年たった今でも日比谷の交差点を通るたびに「たんたん狸の○○はーーー」と思いだして楽しくなります。

青の入社 (完)     (青)
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第14話 この世学問

A、B、C 3君に対しての最初の教育は、桜の蕾がそろそろほころび始めた頃でした。
小学校から大学までの16年間、親の脛を齧っての学校通い。その親の大きな期待に背中を押されて渡辺富工務店に入社してきた3人です。今日の教育は社長の「この世学問」です。
私がまず君たちに話す事は、「この世学問」です。これは前社長から受け継いでいる我が社の教育方針ですから心して聞いて下さい。
第一に挨拶すること。「おはようございます」「今日は」「今晩は」「お疲れ様です」「よろしくお願いします」「ありがとうございます」などなどその場に即した挨拶をはっきりと言う事です。「ハイ」 「イイエ」の返事もはっきり言いましょう。
建築現場には大勢の人が出入りします、建て主さん、設計の先生、協力業者さん、役所関係の人、建物の近隣の人達というように沢山の人と接しなければなりません。挨拶は基本です。
そして君たちは、まだ現場では一年生ですから、分からない事が沢山あると思います。「教えていただく」という謙虚な気持ちを持つことです。学校で習った知識をふりかざして職人さんを馬鹿にしたような態度をとったら呆れられて相手にされなくなるだけです。職人さんたちはその道何十年というベテランです。
今までの学校は、君たちが学費を払いましたね、会社は建て主さんからお金をいただくのです。私たちはお金をいただきながら毎日勉強をさせていただいているのです。なんとありがたいことでしょう。
そんなこの世学問に真剣に耳を傾けている3君に社長が「ホウ、レン、ソウ」の話をしました。
「野菜のことですか?」と3君。
ポパイが食べて力の出るホウレン草とは違います。「報告、連絡、相談」のことです。頭の一字を取って「報・連・相」。君たちが現場から帰社して現場の様子を上司に報告し、色々な連絡をして、分からないことや困った事を相談するのです。上司や同じ現場の先輩、同僚も相談にのってくれます。
「失敗は成功の基」という言葉もありますが、同じ失敗を何度も繰り返す人は馬鹿です。では繰り返さないためにどうすれば良いのでしょう。
失敗したこと、困ったこと、分からないことなどを 一時的に取り繕うことを「弥縫策(びほうさく)」と言います。その一時の言い逃れや取り繕いが後々大きな問題になってしまう事があるので、失敗や間違いは、率直にみとめて反省し 上司の教えを受けることです。分からないままいい加減な返事をしてはいけません。手抜き工事やごまかし工事は、必ず後になって大きな問題となり信用を失います。弥縫策は決してとってはいけない方策です。
常に「報、連、相」の精神を忘れないで、小さな綻びは小さなうちに解決する様に努力して下さい。
休憩時間になったので、お茶とお煎餅を持ってゆくと「それでは休憩しよう」と社長がお茶を飲みました。猫舌の社長が「アチチ・・・ツ!」 それを見た3人は今までの緊張がほぐれ「いただきます」とお煎餅をバリバリ食べ始めました。暖房がいらなくなった窓から快い春の風が吹き込んできます。1時間近くの社長の講話を真剣に聞いた3人は頬を紅潮させてそれぞれの現場へ向いました。手にした業務日誌には「報、連、相」としっかり書いてあることでしょう。3人とも失敗を繰り返しながらも、困難に屈しない建築士になることを期待して、その後ろ姿を見送りました。

この世学問 (完)     (青)
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